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恐怖を利用した「経済改革」/ショックドクトリン

キャスター(エイミー・グッドマン):

チリのクーデター、天安門事件、ソ連崩壊、911事件、イラク戦争、津波やハリケーン。これらを一つの糸に通すのがナオミ・クライン氏の新著『ショックドクトリン 惨事資本主義の勃興』です。

経済学者フリードマンによれば「危機のみが真の変化をもたらす。対策を打つために、目の前にある考えを掴むからだ」クライン氏はフリードマン主義を最も危険な思想とみなします。

大惨事は企業に大儲けの機会を与え、政府が「惨事資本主義」を推進する契機となります。

『ショックドクトリン』でクライン氏は言います。「自由市場の歴史はショックが塗り替えてきた。過去35年間のひどい人権侵害事件は、民主主義を嫌うサディストの残虐行為とみられがちだが、実は綿密な計画のもとに民衆を怯えさせ「急進的な自由市場改革をごり押しするのに利用された」

まずは同名の短編映画の一部をご覧下さい。映画作家のa・クアロンとクライン氏の共同制作による「ショックドクトリン」は国際映画祭で上映されました。


- 以下作品より -

「1940年代に医学と精神医学が飛躍的に進歩しました。精神障害の治療に新技術が開発されました。電気ショックを利用して患者の心を白紙に戻し、再出発の機会を与えます。白紙状態の精神に新しい"健全"な人格を刷り込むのです。」

人々を作り変えようとショックを与え服従させるのだ。この強烈な思想について、お話ししましょう。

1950年代にCIAがこれに注目し、一連の実験をさせて囚人を降参させる秘密の手引書を作りました。ショックを与え子供の状態に戻し、服従させる手法です。

CIA尋問手引書からの引用です。

この手引書の基本的な前提は、幼児へと退行させるテクニックだということです。人は一時的に人事不省になる瞬間があります。心理的ショックや麻痺の状態です。この瞬間こそ審問者がつけ入る隙です。相手はずっと従順で忠告に応じやすくなっている。 この手法は個人だけではなく、社会全体にも効き目があります。集団トラウマや戦争、クーデターや自然災害、テロ攻撃などが皆をショック状態に陥れます。尋問室の囚人と同様に私たちも子供のようになり、守ってやると約束する指導者に従いがちになるのです。この現象に早くから気づいたのは有名な経済学者、ミルトン・フリードマンでした。彼の示す過激な理想社会ではすべてが利益と市場で決まります。

学校も医療保険も軍隊さえも。

貿易保護や価格規制を全廃し、政府機能を骨抜きにする主張はもちろん非常に評判が悪い。大規模な失業や物価暴騰を招き大勢の暮らしを不安にするからです。

民主的に理想が実現出来ないフリードマンたちはショックの力を借ります。

被疑者を叩き起こし目隠しをして手錠をかけます。大抵は強烈なショックを受け、不安や心理的緊張に襲われます。このショックから回復させないのがコツです。

逮捕時のショックが尋問への抵抗を弱めるように、大惨事が急進的な市場経済化への抵抗を弱めるとフリードマンは考えました。彼の政治家たちへの助言は災害直後を狙って不人気な政策を一気に断行せよ。彼の命名は「経済のショック療法」私は「ショックドクトリン」と呼ぶ。

現代の重大事件を振り返れば、この理論の実践例に気づきます。これが自由市場の陰の歴史、自由と民主主義からではなく、ショックから生まれたのです。逮捕の時からずっと身体も精神も孤立させておくと、困惑によって抵抗力が無くなる。囚人は常に沈黙させられ他の囚人と話すことは許されない。

この調査でもう一つ知ったのはショックもいずれ消えることです。一時的な状態なのです。ショックに抵抗する最善の道は自分に起こった事を知ることです。

- ここまで -


キャスター:

クアロン監督の映画「ショックドクトリン」でした。全部をご覧になりたい方は番組のサイトをご覧下さい。ジャーナリストのナオミ・クライン氏は『ブランドなんかいらない』の著者、映画「テイク」の共同監督です。新著は『ショックドクトリン』今日はスタジオにお招きし時間いっぱいお話しを聞きます。

「ショックドクトリン」とは何か、お考え聞かせて下さい。

クライン:

ドクトリンとは一つの権力の理念です。政治や経済の目標を達成する為のね。これは市場至上主義を貫徹する最善の時期と方法は大きなショックの直後だと説きます。

経済の崩壊でも天災でもテロでも戦争でも良い。肝心なのはそのショックで社会全体の抵抗力が弱まる点です。人々が混乱して自分を見失った一瞬のすきを衝いて「経済のショック療法」が強引に行われます。国家の極端な改造を一気に全部やるのです。

ソ連崩壊後のロシアの改革やイラク侵略後、ブレマー代表が試みたようにね。

危機状況を利用したのは現代の右翼だけではありません。危機を利用するという考えはこの思想に特有のものではなくファシストも共産主義国もやりました。ただこれが、現代の主流思想である野放しの市場経済の理解に役立つのです。

キャスター:

ミルトン・フリードマンとは何者ですか?

クライン:

私が問い直そうとする歴史を象徴する人物です。フリードマンが06年に亡くなった時、惜しみない賞賛が送られました。戦後の最も重要な知識人だったろうと。彼はサッチャーからニクソン、レーガン、ブッシュの顧問官を勤め、ラムズフェルドが駆け出しの頃に指導し70年代のビノチェトにも助言、80年代の中国共産党の重要改革にも助言しました。

影響力は大きく、資本主義のカール・マルクスと言われます。マルクスは嫌がるでしょうが当たってますね。思想を普及させましたから。彼によれば国家の役割は契約履行の強制と国境の防衛のみです。それ以外は完全に市場に委ねる教育も国立公園も郵便局もすべて営利を目的に運営すべきだと。

売り買いこそが、自由と民主主義の最高形態だとフリードマンは本気で信じていたらしい。主著は『資本主義と自由』です。昨年、彼が亡くなって何度も聞かされたのが過激な自由市場主義がいかに世界を席巻したかの物語り。

過去35年間、ソ連や南米やアフリカにこの思想がいかに強く浸透したか、ちょうどこの本を書いていた私は暴力や危機やショックが語られないのに驚きました。ただ人々が求めたから浸透したというのです。ビッグマックと民主主義を求めてベルリンの壁を崩したのだと「他に選択肢はない」とサッチャー元英首相が言い『資本主義と自由の提携で歴史は終わった』とフクヤマが言う。私の本は同じ物語りを語り直します。

この思想を躍進させた重要事件に暴力やショックも落とさずに加え、大虐殺や危機や大規模ショックを国家への打撃を利用して世界の大多数が拒絶した政策をごり押しする仕組みを説明しました。

キャスター:

ナオミ・クライン氏の新著は『ショックドクトリン』惨事資本主義の勃興です。

フリードマンの話題からシカゴ学派に移りましょう。

クライン:

フリードマンの影響はシカゴ学派の経済学を広めた点にあります。彼はシカゴ大の生え抜きの学者でフリードリヒ・ハイエクに師事しました。ハイエクは現代の最も急進的な自由市場主義者です。シカゴ経済学派の立場は福祉国家に対する反革命でした。

50年代のハーバード大やイェール大など名門校ではケインズ学派経済学が主流でした。故ケネス・ガルプレイスのような経済学者は大恐慌の後、市場の凶暴性を和らげるのが経済学の調整力だと考えました。ニューディール政策や福祉国家はここから生まれました。過酷な市場の力を和らげるためです。

健康保険や失業保険など福祉制度が充実しました。この時期は戦後の経済復興で米国も世界中も繁栄しました。でも中産階級の爆発的成長は米国富裕層の富を侵食しました。シカゴ大経済学部の重要性は株式投資家の道具となった点です。ウォール街から多額の資金を得て銀行家との付き合いも深かった。シカゴ大はケインズ主義に対抗する反革命の拠点になりました。このため50〜60年代には米国の主流にはなれませんでした。

大きな政府や福祉国家が汚らわしい言葉になったのはシカゴ学派のおかげですが、彼らはまだ権力に近づけなかった。変わり目はフリードマンと親しいニクソンの大統領就任でした。ニクソンは選挙に不利なこの政策を国内に適用しませんでした。ここに自由市場政策と民主主義や平和との矛盾が、はっきり出ています。

ニクソン政権はフリードマン始めシカゴ学派を迎え入れました。「ついに出番が来た」とフリードマンは思った。ようやく日の目を見た反革命集団が米国に於ける福祉国家の解体にとりかかりました。

でもニクソンは世論を見てフリードマンの政策を断行すれば、確実に選挙で負けると判断しシカゴ学派が最悪と考える賃金と物価の統制を行ったのです。実行したのは二人のシカゴ学派の大物でした。ドナルド・ラムズフェルドはフリードマンの講義を聴講し、天災学者と仰いでいたのにニクソン政権の下でジョージ・シュルツと共に賃金と物価を抑制しました。まさにケインズ主義です。

裏切られたフリードマンは民主主義国での実現を疑い始めた。ニクソンはシカゴ学派の政策を国内では実施出来なかったのです。賃金と物価を統制した結果、彼は二度目の選挙に圧勝しました。シカゴ学派の政策は中南米に回しチリのビノチェト政権にやらせた。米国の民主主義とは相成れない過激な思想の実験も中南米の独裁政治下なら平気で実現出来ました。

キャスター:

チリでは何が?

クライン:

この番組の視聴者たちはご存知の歴史でしょうが、民主社会主義者アフェンデが1970年に大統領に選ばれると米国は彼を倒そうとしました。ニクソンは「経済を締め上げろ」と禁輸措置などをとり、その挙句に73年9月11日のクーデターでビノチェト将軍を支援しました。チリで良く聞く「シカゴ組」も実際には誰だったのか、今度の本はこの部分の歴史を検証しています。

特にビノチェト政権の経済政策の意図を大きく取り上げています。ビノチェトが無実の人々を捕まえて処刑したり拷問したのは有名ですが、クーデターのショックを利用して強行した経済政策のことはあまり知られていません。これがショックドクトリンの応用例です。この本でチリを大きく扱ったのは理由があります。現在のイラクに見えるものと共通点が沢山あるからです。

人為的に作られた危機と経済のショック療法の採用が重なっているところ、特にブレマー時代のイラクです。彼は戦火のくすぶるバグダッドに赴任すると、国の経済構造全体を破壊して過激な市場主義政策を推進する実験場に変えました。チリではクーデター当日、まだ市中を戦車が走り大統領官邸が燃えている中「シカゴ組」と呼ばれる一団がいた。

米政府の奨学金でシカゴ大に留学したチリの経済学者たちです。左に傾いていた中南米を右に戻す意図的な戦略で、いわば政府資金による思想教育です。「思想転換計画」とチリの元外相は呼んでいました。学生達をシカゴ大学に連れてきて当時、米国では傍流の学説だった極端な経済学を教え込みイデオロギー戦士として本国に送り返したのです。このシカゴ組も一般討論の場ではチリ国民を説得出来ませんでした。

クーデターの日に集まった彼らは夜通しかけて文書を作りました。これが「部リック」と呼ばれるビノチェト政権の経済政策です。ブッシュの2000年の選挙公約にこれは驚くほど似ていて、所有者社会、社会保障の民営化、チャータースクール、一律税制などフリードマンの筋書き通りです。

クーデター翌日、出動した軍人達の机上にこの文書がありました。2つの事柄が起こったのは偶然ではありません。ビノチェトが亡くなったのはフリードマン没後すぐでしたが、その時の新聞の論調はどうだったでしょう。「むろん人権侵害は許せない」とチリでの殺戮を非難する反面、「経済学は素晴らしかった」と褒めています。

ビノチェトが推進した自由市場革命と同時に起きた人権侵害があたかも無関係かのようです。中南米の研究者の多くは両者を明白に関連させます。民主主義の弾圧と崩壊なしにこの経済政策は実現出来ないと私の本は論じています。

キャスター:

「頭を空にしてすっきりさせる」拷問ショックの話しを。

クライン:

私は2つの研究所を本の冒頭で取り上げました。ショックには経済的なものと身体的なものがあります。重大な転換期には拷問のショックが伴いました。研究所の一つは1950年代のシカゴ大学でした。ここで中南米の経済学者がショック療法を学びました。仕組まれた陰謀とは言いませんが、もう一つの研究所が同時期に別種のショックを研究していた。

カナダのマッギル大学です。CIAの資金を得て拷問手法を研究する実験拠点となっていました。「マインドコントロール」や「洗脳」のね。最近の調査で判った事ですが、1950年代の洗脳技術開発計画の高電流やLSDや幻覚剤投与、知覚刺激の遮断や過剰などの実験の成果が今、グァンタナモやアブグレイプで拷問マニュアルに使われています。

それは人格を破壊し幼児に退行させ、人の言いなりにさせるマニュアルです。CIAは国外のマッギル大なら実験が容易だと思ったのでしょう。モントリオールの大学ですね。当時の精神医学部長はアメリカ人のE・キャメロンで元米国精神医学協会の会長でした。尋問への精神科医の協力という現在の問題にも関連する団体です。彼はその後、マッギル大の精神医学部長となり、アラン記念病院という精神病院の院長になりました。

CIAの資金を得て彼はこの病院を従来とは異なる尋問手法を開発する実験所に変えました。患者にLSDなど幻覚剤を調合して投与し1ヶ月近く昏睡状態にしたり視覚や聴覚への刺激を奪ったりしました。患者は時間と場所の感覚を失います。キャメロンの説によれば、精神病は後天的に獲得され後に形成されるパターンです。彼は行動主義心理学学者でした。

彼が信じる治療法は根本の原因を掴むことでなく患者を大人から子供に戻すことでした。電気ショック療法の副作用で記憶喪失が起こるのは知られており、大抵の医者は問題視していました。一定の成果はあっても患者が過去をすべて忘れるからです。でも、キャメロンはこの副作用を歓迎しました。精神病は後天的に形成されるパターンなので、言葉も自由意志もない、幼児の状態に患者を戻せるなら再教育で健全な人間に変えられると。そして極端な幼児返りを起こさせるこの手法にCIAが注目しました。

キャスター:

その治療を受けた女性にお会いになりましたね。

クライン:

本の始めに紹介したゲイル・カスナーさんはキャメロンの患者でした。キャメロンに資金を提供したカナダ政府を彼女は告訴し、何も知らされずにモルモットにされたと訴えて示談を勝ち取りました。それを記事で知り、電話しましたが、最初は彼女に警戒されました。ジャーナリストは嫌いだし、あの体験をまた語るのも辛いと、どんな話しがあるのと聞かれて「私はイラクから戻ったばかりで、あなたが受けた実験の根本にある考えがイラクで見たものと繋がる気がする。一つの国を消し去って一から作り直そうとしたり、グァンタナモで囚人の感覚を奪い、幼児に戻して別人にする試みはあなたの体験に関係する」沈黙の後、会いましょうと言われた。

モントリオールに飛び、一日中話しました。電気ショックは夢のようにおぼろで当時の事はあまり覚えていないそうです。ひどいショックで記憶が消えてしまったのです。親指を吸い、床に小便し、自分が誰か分からない。そのことさえ覚えていない。入院したことさえも。20年後にやっと判ったのです。

患者達がCIAを告訴したという新聞記事を読み、そこに退行や言語喪失という言葉を見つけ、これこそ自分の身に起こった事だと気づいた。アラン記念病院に自分がいた事を家族に認めさせ、記録を調べてキャメロン医師に入院させられ、異常な治療を施されたと突き止めました。

- 休憩 -

キャスター:

チリの歌手ビクトル・ハラでした。枯葉1973年9月のクーデター後、ピノチェト軍に殺されました。本日販売のクライン氏の新著は『ショックドクトリン 惨事資本主義の勃興』

国民へのショックに移りましょう。イラク戦後の民営化について話して下さい。イラクの最新ニュースでは傭兵会社が認可を剥奪される模様。バグダッドで銃撃戦があり、民間人8人が死亡、13人が負傷とイラク内務省が発表しました。ブラックウォーター社の傭兵がスンニ派地区で発砲したためです。イラク政府は同社の免許を取り消し、全土で業務を停止させ、関与者を司法当局に送検します。この措置が暫定的なものかどうかは不明です。どう思いますか?

クライン:

傭兵会社に法的措置を問うのは初めてのケースです。驚きました。J・スケイヒルが凄い本で書いたように問題はこれまで刑事告発が一つも無かった点です。傭兵会社はまったくのグレイゾーンで活動しています。彼らはボーイスカウトのように善良なのかもしれませんが、現場の情報やウェブ映像が示す市民に対する悪行からすれば、むしろ無法状態や免責特権に守られている可能性が強い。イラク政府が本気ならばこれは転機になります。傭兵会社を法の下に引き出し、これほどの民営化と無法状態を許すことにした根拠を問うのです。ラムズフェルドは60年代にフリードマンに学びましたが、実際は彼は師よりも過激です。

フリードマンの考えでは、政府の仕事は軍事と警察だけ。それ以外はすべて民営化すべきです。ラムズフェルドは彼を尊敬し誕生祝いに毎年顔を出しましたが、彼は師の考えを一歩進めて、実は警察や戦争遂行も民営化し、外注出来ると考えました。その変革が彼の使命となりましたが、いかに過激なものかが良く理解されていません。

彼が目指す軍の変革をブッシュ大統領は褒めちぎります。言葉は捉えにくいけれどラムズフェルドの経歴を見ると、彼は実のところニューエコノミーの経済人です。フォード政権を離れてから二十年ほど実業界で働きました。

実はここに前著『ブランドなんかいらない』と惨事資本主義の接点があります。90年代の企業ブランド革命を彼は模倣したのです。この当時、多くの製造業者が今後はもう製品を作らず、ブランドやイメージを作ることにし、実際の製造工程は外注すると言い始めました。外注革命とでも言うべき企業空洞化への大転換でした。

ラムズフェルドはその流儀を引っさげて国防長官になり、新経済企業のCEOのようにリストラの新辣腕をふるいます。この企業社会の革命理論を軍に応用し、米軍の空洞化を監督指導したのです。そうなると米軍の役割はブランド化とマーケティング、世界に力と支配のイメージを示すことだけです。

兵士の健康管理から基地建設まで他の軍機能はみな外注されました。基地建設はクリントン政権で民営化されましたが、今では民営化が一層拡大され、実際戦闘に従事している傭兵会社もあります。

キャスター:

ブラックウォーター社はイラクでピノチェトの兵士を雇っています。

クライン:

イラクは延長線上なのです。ブレマーCPA代表はキッシンジャーの助手でした。ニクソン政権がピノチェトを強く支援していた頃の話しです。すべてにこのような連続性があり、私がこの本を書いた動機は、こういう犯罪の責任が問われないことです。

中南米では真相委員会や裁判で過激な暴力的変革を進めた中心人物の多くが追求され、真相究明と和解に向けた公開の討論に於いて、彼らの責任が問われました。でもこの国ではそれがない。真相を暴く調査報告は多数あるのに責任が問われないため同じ人物が犯罪を繰り返すのです。

キャスター:

イラクの破壊についてはどうですか?「衝撃と畏怖」ブレマーの経済ショック療法。拷問ショックなど、すべてをまとめて。

クライン:

チリではトリプルショック方式と拷問がありました。イラクも同じで最初が「衝撃と畏怖」の軍事侵略です。「衝撃と畏怖」とは大量の爆弾やミサイルを用いる事ではなく、心理的なものであり、それ自体が戦争犯罪です。先の湾岸戦争の目的はイラクの軍事インフラ攻撃でしたが、衝撃と畏怖作戦では、攻撃対象は社会全体だと明記されています。

それは集団刑罰であり戦争犯罪にあたります。軍隊の攻撃対象は軍隊だけです。社会全体の攻撃は許されません。驚くべきドクトリンです。膨大な数の人々の感覚を遮断する国民全体の理性を奪い、感覚を遮断するような侵略でした。明かりが消え、電話回線も切れ、連絡手段はすべて遮断。略奪が横行しても米軍は放置する戦略のようでした。

博物館や図書館の文化財略奪をあらゆる筋が警告したのに「そんな事もあるさ」とラムズフェルドは涼しい顔。NYタイムズのフリードマンによれば、この戦争目的は国家建設でなく国家”創設”だそうですが、よく考えればひどく暴力的な発言です。

既存の国の中に国を創設する。そのためには既存のものが邪魔です。人類最古の文明なのにね。建設ではなく一からの国家創設。理想的だと米国メディアは報道しますが、アラブ世界の中心にモデル国家を創設すれば、近隣諸国も民主化するという、モデル国家の考えには植民地主義の響きがあります。

何らかの浄化なしには実現しません。イラクの歴史の破壊に良心が痛まないのは、一から国を創設するのに、今あるものは邪魔だからです。文化財略奪とシリアなどへの流出も仕事を楽にしてくれるだけです。無責任の横行ですね。

キャスター:

アブグレイブについては?

クライン:

アーミテージによるとイラク戦実行の理論はこうでした。体制崩壊後、イラク人は大混乱に陥り米国の言うがままになるだろう。実際はそうなりませんでした。ブレマーが過激なやり方で公共部門と軍隊からイラク人を追放し、交易開始を宣言すると安価な輸入品が流入し国内産業は敗退しました。その夏に大規模な非暴力抵抗運動がありました。米国がイラクをた逐一先導するなど出来ないことがはっきりしました。

初めての武装した抵抗の後、戦争は刑務所に持ち込まれました。ここでもまたラムズフェルドの会社経営者的発想で戦争遂行も人手不足でした。彼やイラク占領軍には誤算に対処する術がなかった。イラク国民がショックの結果、米国に従うという幻想の結果です。イラク人の抵抗運動が起こると弾圧する兵士が足りません。そこで一斉に逮捕投獄し拷問にかけました。

中南米でも同様でしたが、全国にメッセージを送るためでした。拷問が国家テロの道具として使われる時には情報を引き出すだけでなく社会にメッセージを送ります。国家に反抗するとこうなるぞと、イラクの米軍も拷問をそのように利用しました。

キャスター:

ショックドクトリンを研究して一番ショックだったのは?

クライン:

沢山の文献の中で経済学者たちが、この理論を認めていた事ですね。この本に沢山、引用したように、M・フリードマンや、J・ウィリアムスンなど自由市場経済を提唱する高名な経済学者はすべて内輪の技術官僚的な文献で認めています。急進的な市場経済改革の達成は大規模な危機なしにあり得ないと、民主主義と資本主義は仲良しという、この時代の最大の神話を、その提唱者たちが嘘だと認め、本音の告白を残しているのです。

キャスター:

最後にブッシュ大統領のニューオリンズやバグダッド訪問の話しを2年前、ハリケーン直後に現地でお会いしましたね。あの災害と国の対応をあなたの説で解釈して下さい。

クライン:

あの災害はショックドクトリンの典型例です。第一のショックが都市の浸水です。でもあの浸水は自然災害ではありません。皮肉にもこの経済理論による公共部門切捨てが原因でした。今後もあのような災害はますます増えるでしょう。25年間公共インフラは無視され輸送システムも道路も堤防も弱体化しています。全米市民技術者団体は幹線道路を標準に戻すのに1.5兆ドルが必要と発表。端や道路や堤防の痛みが酷いのです。年々激しくなる暴風雨が劣化したインフラを襲えば壊滅的ですが、それは短期的収入と成長を狙うこの経済理論の一環なのです。弱体インフラと暴風雨が遭遇し、同州の堤防は決壊しました。直撃は免れたにも関わらず。余談ですがニューヨークでもこの夏地下鉄が浸水しましたね。あの程度の雨で浸水したのは長年のインフラ軽視で劣化したため、でも新聞は「地下鉄を売れ」と言う。経済理論がインフラを弱め災害を生み、その災害を口実にすべてを民営化する。ニューオリンズ被災直後に思想的な宣伝がありました。急進自由市場改革の最強の推進力、ヘリテージ・ファンデーションが、この大災害は州を完全改造する好機だと喧伝したのです。

本音は改造でなく抹消です。公立校は再開せずチャータースクールになり、公立病院は閉鎖されたまま公営住宅はもっとひどい。ある共和党議員の言葉では「公営住宅の始末には手こずったが神が一掃してくれた」まさにショックドクトリン。惨事活用の民営化です。

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